どうも~。当ブログをご覧いただいてる、そこのあなた!毎度ご覧いただき、ありがとうございます。担当のSW-challengeで~す。
今回は母の病気について考えよう!です。その中でも私が2回生の途中から卒業までの経過についてご紹介します。👏
それでは、いってみましょう。(^-^)/
目次
これまでの経過についてはこちら!!
1、入退院の繰り返し🤔
三回生までは大きな心臓などの手術は特になかったのですが、熱が続くことや心臓の手術か膠原病が原因で息が苦しいことなとがあり何回か入退院をしました。
前回のブログで地域医療クリニックの訪問診療をスタートさせたことを書きましたが、訪問診療の先生に熱があればだいたい救急車を、よんでと言われました。(クリニックってだいたい入院ができませんよね。)
また、訪問診療には血液検査と問診や尿検査をやるのですが、血液検査や問診で先生がこれはおかしいと思えば、先生が紹介状を書いて近くの病院に入院しました。
何回入院したのか覚えていません!!
記憶にあるのは私が三回生の社会福祉士の実習を終える前や四回生の前期と後期など5回以上は入退院していると思います。
2、入院中の食事!🍚
病院の食事って健康を第一に考えているためどうしても味が薄いし、お魚が多いです。(母は青魚が特に嫌いでした。)
なので土日とか学校が長期の休みとか4回生のときは授業も少なかったので、そういうときはお昼までに病院に行って病院のコンビニなどで買った私のご飯やアイスとかを少し食べて好きな物を食べていました。(食べるといっても一口ぐらいです。)
いいのかな?と思っていましたが、食べられるだげでもいいかなと思っていました。
(もちろん先生も食べられるだったらもう好きな物を食べてもOK!と許可してもらいました。)
3、在宅での点滴について🤔
栄養点滴は家では夜にしていたのですが、点滴をすると水分を摂取していると同じなのでトイレに近く回数が多く、夜中に何度も目が覚めたり、点滴を持ちながらトイレにいくのが遅れて少しトイレに間に合わないこともありました。
4、在宅の睡眠について🛏️
睡眠は膠原病の影響でよく眠れなくて、よく睡眠薬を飲んでいました。
あまり効かなかったら少し多めに飲んでいました。
でも、飲み過ぎて朝起きてもふらふらしていてトイレいくのも転びそうになったこともあります。
薬って難しいですね。
5、地域の病院決定!
病院を転々としていたら治療の違いや一から毎回病院を探すのが大変でした。
3回生の途中で入院した病院のある医師が僕が責任を持つからまた熱とかしんどくなったときはここに連れてきてという親切な医師に出会いました。
その後は母がなくなるまでお言葉に甘えてその医師にお世話になりました。
6、ICUに入ったときもあります❗
その親切な医師にお世話になったときにめちゃくちゃ悪くなってICUに入ったこともあります。
そのときも意識がなくてまた危ないじやないのかな?と思いました。
徐々に酸素も低くなりました。でも酸素をあまり入れすぎると、二酸化炭素がたまって余計にしんどくなるのであまりあげることができませんでした。
7、卒業前✨
私が大学卒業直前に退院したときが母にとって最後の家での生活となりました。
またこの卒業するときちょうどその親切な医師の病院が膠原病の科が作られ、ちょうどいいな!と思っていました。
大きな大学病院に行かなくても膠原病の治療できると思っていたので、家族としては安心できました。
8、最後に✏️
ホントに病院生活が私が高校のときよりも増えてその度に病院を転々としていました。
でも病院によって方針が違うことや転々とすることで毎回探すのが面倒だったので親切な医師と出会ってよかったな思っています。
僕が責任を持ちますってありがたくて本当に感謝しています。✨
また、睡眠薬って飲み過ぎるとダメなこともわかりました。
この病気に戦っている誰かのお役にたてていたら嬉しいです。👶
次の病気について考えよう!は私が大学の卒業後から亡くなるまでの約3ヶ月についてご紹介します。
もし参考にしたいと思ったあなたはぜひみてくださいね。👏
今回はココまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また、次のブログで会いましょう。🙋