どうも~。当ブログをご覧いただいてる、そこのあなた!毎度ご覧いただき、ありがとうございます。担当のSW-challengeで~す。
今回は私の母の病気についてご紹介します。👏
以前は発症前について書きましたが、今回からは発症してからの症状や治療方法を書いていきます。
少し長いので今回は私が高校卒業までの三年間の症状や治療方法をかきたいと思います。
以前のブログはこちら!!📝
それでは、いってみましょう。(^-^)/
目次
1、原因は朝早くにお弁当を作っていたから!😑
膠原病というのは一番朝早く起きることが良くないとされています。
しかし、私が高校生になると、中学校みたいに給食がないため(私が通っていた中学校は給食がありました。)、お弁当を作ってもらっていました。
しかも私が通っていた高校は中学校みたいに近くなかったので、7時前には家をないと電車に間に合わなかったです。(最寄りの駅まで車で20分なので。)
そのために5時までには起きないと間に合わなかったらしいです。
中学校までは給食があったので6時半に起きてそのあと食事の準備すれば良かったので、その1時間半の睡眠が母の体には答えたのではないかと思われます。
たまには私も協力してご飯やおかずなどをつめたり、卵焼きを焼いたりしましたが、高校のとには朝に小テストがあったりしてあまり協力できなかったです。
(もっと協力していたら良かったかな?🤔)
2、だんだん症状が・・・。
お弁当づくりで母の睡眠時間が変わったことで、だんだんきちんと眠れない日が多くなったそうです。
そうすると、消化に影響し、食欲が落ちたり、お腹にガスや便をためやすくなり、食べれないことが多くなりました。
また、それによるのかわかりませんが、体の不調として微熱が続きました。
3、大学病院で検査🔦
そのため地域の病院に入院しました。
お腹の検査をすると、腸閉塞になっていました。
また、膠原病の詳しい検査をするために、大学病院に転院しました。
検査すると、ステロイドのお薬は効かないので、症状が出たらその症状に対処するしかないみたいな感じで、一生病気と共存するみたいな!結果となりました。😑
検査後はとくに手術とかの治療がなかったので、直ぐにもとの病院に帰ってきました。
食欲があっても食べたら吐くということで栄養が足らなくなってきて、点滴を進められました。
点滴だけなら、家でもできるということで、父が器用なので点滴を練習していました。
私は不器用なので無理だと思いますが。
熱も落ち着いてきたので、点滴をもって帰ることができました。🤗
4、点滴の機械でさらに睡眠障害に!😑
日中は家にいると、トイレに行くときや気分的に点滴が邪魔になるので、夜に点滴をすることになりました。
しかし、夜に点滴することは寝返りや寝かたによって(針を指している手を下にしてまう。)などでよく機械のエラーが鳴りその都度目がさめてしまい睡眠がさらに低下したみたいです。
うーん。難しいですね。🍀
睡眠の大切さがわかりました。🔦
5、入院と在宅の繰り返し!🥺
そのあとも在宅生活では元気なときはお弁当をたまに作ってくれたり、修学旅行のお迎えについてきてくれたり、高校の文化祭は二回来てくれました。
もちろん無理な時にはゆっくりしてもらって、お弁当も食堂のご飯や自分で作ったりして、できるだけ体調を気にしていました。
熱や下痢など体調が悪いときは病院に何回か入院して、在宅と病院をうまく使いながら、闘病生活をしました。
残念ながら、高校の卒業式には少し痩せている姿を誰にも見てほしくなかったみたいで、参加できませんでした。(何回入院したのか覚えていないので、ひょっとしたら、入院していたかもしれませんが。)
代わりに父が来てくれました。
6、最後に📝
人によっては症状が違うので、参考程度にお願いします。
微熱、腸閉塞などの症状があり、食減退や点滴を必要とするなど生活がガラッと変わったのが、私の高校生の時でした。
よく学校帰りに病院によったり、夏休みなどの長期に入院しているときは少しでもお母さんの退屈な時間を減らしたいとという思いからずっと病院に付き添っていました。
家にいるときも家事などもできるだけ協力しました。🤗
次回は私が大学生のときには大きな手術したので、それについてご紹介したいと思います。それを含めた私が大学生のときの四年間の治療についてご紹介する予定です。
知りたい方はみていただき、参考にしていただけたら、嬉しいです!🌸
今回はココまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
また、次のブログで会いましょう。🙋